会員NEWS@ぱそぼらん

最終更新日 2002年2月18日

リレートークは2組に分かれて、バトンタッチされています。

リレートーク KEIさん  リレートーク こりゃたいへーさん

 

会員リレートーク KEIさん

 今週はいつも以上に早起きの毎日です。 オリンピックとロッキーの雪山を楽しんでいます。
人間はいつから早いことはいい事だになったのでしょう。百分の一秒、千分の一秒を争い合っていますが、どこかにゆっくり・のんびりの競技はあるのでしょうか。
 情報伝達手段の飛躍的な発達の恩恵に浴しつつ、又もや勉強が増えた事に弱ってもいます。
70〜80年代の米国出張時、毎日夕方になるとローマ字テレックスの原稿書きに追われ、米国人パートタイム・オペレーターを夜おそくまで苦労させていた若き日?を懐かしく思い出しました。
今朝も先輩から、ボケ防止に協力せいと、いわんばかりのメールが入り、こちらも負けずに打ち返すという始末で、お互い励まし合いながら頭の体操に取り組んでいます。
 9月11日、悲しい事件の時は丁度西オーストラリアの荒野にいました。 辺り一面ワイルドフラワーのカーペットの中で、流れる白い雲を仰ぎつつ、時間がゆっくり歩むような至福の一刻を過ごしていました。 後日、娘から「どこにいたの?電話の一つもしてよ。」と家内は叱られたようでした。時間にせかされる事の多いこの時代に、ゆったりと時を忘れて過ごせる場所があるのは救われます。 瞬時に9000キロ離れたオーストラリアやニュージーランドの友人と交信が出来、又、旅の計画をインターネットで済ませられる事が、昨年末実証出来ました。 
お陰で世界一美しい散歩道と言われているミルフォード・トラックの54キロを、四日間かけて歩くことが出来ました。一歩一歩大地を踏んでゆく楽しみを通して、距離と時間という単位がどんなものか改めて体感しました。 これからもこの対比を常に考えていくことが必要だろうなと強く思いました。
 数日前、カナダ在住の或る知人からのメールには考えさせられました。その概要は「或る公共の大病院で心臓の手術後、夜中に傷口が痛み出したので、薬を貰いたいとナースステーションに電話を入れたが一向に看護婦が現れない。もう一度と思ったいたところに男性が通りかかったので話したら、それはと憤慨して直ぐにステーションから薬を貰ってきてくれ、大助かりした。後で担当の看護婦が来て言うには、マニュアルに先ずPCに入力し、その指示に従って・・とあってその入力が出来なかったので、直ぐに薬を持っていけなかったのだとの事。日本ではこんなことは無いだろうが。この裏には、ビジブル・マイノリティの雇用問題もあって、理解出来ない事もないが、何でもPC、PCという世の中になったのだろうか、嘆かわしい事だ。」でした。
 ニュージーランドで会った希少種キガシラペンギンのホイホ・ホイホの鳴声も、クルージング中に、ヨットの周りを楽しげに泳ぎ廻っていたヘクターズ・ドルフィン(世界でもっとも小さいイルカの一種)たちの話しかけるような鳴声も、いつの日か彼等とも交信が出来るように科学は進歩するのでしょうね。
 「距離の暴虐」と言われ、嘗て我が物顔に開拓者達を苦しめてきた広大な豪州大陸。それを実感できる三泊四日4350キロの汽車の旅を楽しむ一方で、インターネットの恩恵をも人並みに享受すべく、図々しくも「二兎を追って二兎を得たい」と思っている次第です。これは夢物語かな。
 次は la montoさんにバトンを渡します、どうぞよろしく。 (KEI)


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会員リレートーク こりゃたいへーさん

 「パソコンの功罪と関連して」

私のハンドル・ネーム「こりゃたいへー」は、一昨年右腎臓全摘の手術を終え無事生還した直後に、「不死鳥・フェニックス」が良いとぱそぼらんのお仲間からご提案がありましたが、「不死鳥」の名前を付けたあとすぐにこの世におさらばしてもの私の希望を一部入れていただき、結局、ファースト・ネームにちなみ決まりました。

私は4年前に脳内出血を煩い、以来右半身付随となり、利き手であった右手は現在も使用不能です。一年半病院と自宅での療養中に、皆様の仲間に加えていただき、その後、復職もかない、まがりなりにも仕事を続けられるのはパソコンがあったからであり、パソコン並びにパソコンを発明し、ソフトを開発し続ける方々のお陰と常日頃より感謝致しております。その上であえて罪といいますか、いくつかの例をあげて、関連して私が最近思うことをリレートークの場を借りて述べます。

その1
1945年(昭和20年といったほうがお分かり易いかもしれません)生まれの私の少年時代は、垣根の竹を抜き・割いて弓矢を作ったり、木にロープをかけターザンごっこをしたり、学友とはこまを手の平でまわし校庭をリレーしたり、つぅぶれつぅぶれ(馬跳び)をしたり、雨天には教室の中で休み時間の寸暇を惜しみ艦隊撃滅(敵味方双方が紙切れに6x6の碁盤のマス目を作り、戦艦・駆逐艦・巡洋艦を各3隻づつを、相手方に分からないように、縦・横・斜めいずれかに連続して配備させた後、先攻後攻代わる代わる相手の配備した合計9隻の位置を推定し、「イの1」のごとくコールして3発づつ大砲を放ち先に全数を沈めた方が勝ちとなるゲーム。これを教えて下さったのは担任の先生で空母「赤城」の元水兵さん)などなど、物資がなければなくても遊びを工夫して、それは楽しい毎日でした。世の中が進歩したのか、環境が悪くなったのか、子供たち同士が外で駈けずりまわる姿を見かけなくなりました。ファミコン・ゲームパソコンの類は確かに面白いものではありますが、室内に閉じ篭り限られた友達と遊ばせるのはいかがなものでしょうか。泣きわめき求める子供のためなら買って与えざるを得ないという親心をついての商売を腹立たしくさえ思います。

その2
私が会社に入社して1、2年してシャープやカシオの卓上コンピュータが出始め、ヘンミの計算尺は使わなくなりました。それでも卓上計算機の時代、(いささか自分の特殊専門分野の話ですいませんが)化学機械の設計をするのに、設計基本となる物性値(比熱、熱伝導度など)を書物で調べ、それらデータにもとづき機械の大きさを決定し、その後に地震・台風にも耐えるように構造・強度計算を行い、市場にある鋼柱材料の選定など一台の機械を設計するのに1週間程度をかけてしたものです。やがて大型コンピュータが導入され、私も大学を出たての後輩からフォートラン言語を教えてもらいながら膨大なプログラムを完成させました。その結果、基本設計条件をインプットすれば一連の設計は30分足らずのうちにできるようになりました。大いに楽になり省力化が進んだ一方、後を任せた後輩そして現在の担当者に引き継がれるうちにコンピュータをただ便利に使い、プログラム内容も分からず、そして基礎理論もわからない連中が目立つようになりました。パソコンを器用に使える若者は確かに増えましたが、パソコンは人間が便利に使う道具にすぎません。もう少し自分自身で考える人達が増えてほしく思います。

その3
ワープロソフトができタイピストの職は消えました。印刷屋による年賀状印刷もやがて消えるでしょう。イタリアの神経科医Carlo Perfetti創始による認知運動療法(私が今も通い続ける右手のリハビリ訓練法)に関する論文もインターネットを通じ簡単に入手でき、それらイタリア語・ドイツ語・フランス語などの論文もフリーのWEBサービスで英語にならほぼ完璧にほんの短時間のうちに翻訳されてしまいます。勿論、逆方向の英語から各々の言語への翻訳もです。(日本語と英語間の翻訳ソフトもありますが、私の拙い語学力の方に軍配が上がるでしょう)翻訳業も廃業になるでしょう。知りたいことはほとんどのことがインターネットを通じ調べられますから、大学の先生方も単に知識の切り売りをしているような講義では学生達にそっぽを向かれてしまいます。コンピュータ・パソコンが発達し、単純作業はもとより、多くの分野で合理化・省力化が進んだお陰で多くの人々が職を奪われました。不景気の中にあってもパソコン消費は伸び、これからはITだと騒がれたそのIT関連企業の松下もNECも人員整理に至ったのは何とも皮肉な結果です。最近ではWindows95に始まり98、Me、XPとほぼ2年毎にOSが更新され、パソコンハードの容量・速度もアップしましたが、一部の国家・企業・人々のために、必要以上に急激に進めてよいものでしょうか。半導体工場においても製造工程で地球温暖化ガスを多量に使います。その排出に対する技術的開発が追いつかず、京都会議の約束を破ったのはパソコン先進国アメリカです。

素晴らしいパソコン、大変お世話になっているパソコン、私自身は本当に良い時代に生を受けたと思うものではありますが、その反面あまりにも物質だけの豊かさ、基本を忘れ効率を上げることに奔走し、そして利益だけを求める社会に身を置いているかとも思うのです。科学・医学など技術の進んでいなかった原始の時代から私達人間の心は進んだでしょうか。また現在でもこのような社会から取り残されたところで生活している人々が多くいますが彼らに比べてどれだけ心が豊かで肉体も頑丈といえるでしょうか。ある意味においては、パソコンがなければ、薬がなければ何もできない、自分自身では回復力もない人間になってしまっているのではないでしょうか。どんなに技術が進み、物資面で豊かな世の中にあっても生きるための基本、精神的な豊かさ、自分自身の個性を大切にし、そしてお互いが人格を認めて平和な日々を送りたいものです。雪印事件、外務省問題、ニューヨーク同時テロなどあまりにも不幸なできごとが多すぎます。一度きりの人生だからと享楽に身をおき、財力・権力欲を求め、思いあがり世界の警察たらんと世の為・人の為に生きるという考え方の人もいるでしょうが、たまたまそしてせっかくこの時代・この国に生を受け、二度までも命を救っていただいた私は残りの人生を少なくとも他人様にうらまれることはないようにして、つつましく、与えられた環境でパソコンを楽しみつつ、少しは他人様にも理解していただいてタイヘーに一生を終えたいと思います。

 次回は、ジュリーさんにお願いいたします。

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このページで使った素材は「ふぁんしーぱーつしょっぷ」「Soffiche」さんからお借りしました。

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